2013年5月27日月曜日

取るに足らないこと

此の頃、仕事のことより、職員の「私」の部分に関わることが多い。
以前にはない相談内容。
仕事以外の私的な相談
管理者はどこまで責任を持つべきか?
職場にとっては「取るに足りないこと」
しかしながら、個人にとっては大きな問題。
そこで考えました。
以前から皆には伝えていました。
「プライベート充実しなければ、いい仕事は出来ない」
仕事を理由に、家庭、妻、親の役割を放棄しては
良い仕事が出来るはずがない。
何かを犠牲にし、あたかも仕事を理由にして
上手くいかないことの言い訳にしてはいけない。
特に、幼子の母は!
WLBを推進するとき、ママさんたちの
大変な理由が「仕事」だったら
子どもが可愛そうである。
何故なら、子どもは親の背中をみているから。
上手くいかない理由を、子どもや他人のせいにすべきでない。
全て「自分の責任」であると思う。
「私」は取るに足らないことでなく
「公」も「私」も大事なこと。
全てバランスが大切と思う今日この頃です。

2013年5月20日月曜日

深刻

日々深刻な出来事に翻弄され、
自身の役割が何なのか?何が出来るのか?
迷いの中にあるとき、ある名言集の一言。

深刻になりすぎると、
見えるものも
見えなくなってしまいます。

そんなときは考えるのを止め、
心が落ち着くのを待ちましょう。

そうすると、
見えなかったものが
ちゃんと見えてきます。

なるほど、なるほど。
今の自分を外から見なくちゃ。けして幽体離脱ではありませんよ。
どっぷり、自分に浸ってしまい、判断に迷いが生じたときは
考えるのを止め、心身ともにフリーズ。
解凍するのを待ちましょうかね。急速解凍でなく、自然解凍かな!!!


2013年5月6日月曜日

自己決定

井部先生の「看護のアジェンダ」を読ませていただき
感動し、共感した一言。
日本の社会を不健全にしているのは、『相手を慮る(おもんばかる)という大儀名分を掲げた「他己決定」の慣習』である。この一言に共感。
此の頃の気くばりは、自己満足的な気くばりが真に多い。
自分がいい人になりたがり、自己決定の妨げになっているケースを見かける。
傾聴している気分で、自己決定の機会を奪っている。
傾聴は優しく聴き、いい人気分ではならない。
厳しい選択を迫られている本人に自己決定できるよう支援をすること。
それが、真の傾聴であると思う。
特に聴く立場を求められる方は、専門的なスキルを持ち
自己決定できるよう支援することが重要ではないだろうか?
井部先生の言葉から「明日からは、他人をもっと放っておいてはいかがか。相手のためにも、そして世の中のためにも」
生きていくためには、本人の自己決定できるチャンスを『優しさ』として他人が奪うことは大きな罪になる。
他己決定より自己決定できる人を育てることは真に難しい今日この頃です。